訪問介護だから叶った大阪市での在宅看取り:Aさんご夫婦と過ごした自宅での最期

先日、白ゆり介護センター(平野区)で訪問介護をさせていただいたAさんが、ご自宅で穏やかな最期を迎えられました。
医師から余命一カ月と告げられた後、私たちが在宅介護に関われたのは二週間ほどでしたが、その時間は看取りにおける訪問介護の役割、そしてご夫婦の深い絆を改めて教えてくれるものでした。
この記事では、平野区での在宅看取りを選ばれたAさんご夫婦のエピソードをご紹介します。
平野区の自宅で最期まで:在宅介護という選択

Aさんは、ご主人と二人暮らし。
医師から余命を告げられた際、ご夫婦は「最後の時間を自宅で過ごしたい」と強く望まれました。
病院ではなく、思い出の詰まった住み慣れた家で、愛するご主人と穏やかに過ごす在宅介護での看取り。
それがAさんの心からの願いでした。
訪問介護が始まった当初、Aさんは言葉を発することが難しく、お気持ちを読み取るのも簡単ではありませんでした。
それでも、ご主人や私たち訪問介護スタッフが隣で語りかけ、関わりを重ねるうちに、頷きや目の動きで少しずつ応えてくださるようになりました。
ある日、ご主人が「妻が、アイスクリームを食べたがっているようなんです」と教えてくれました。
すぐにアイスを買ってきて、そっと口元へお運びすると、Aさんはゆっくりと、本当に少しずつですが召し上がりました。
その瞬間、Aさんの表情がふわりと和らぎ、口元にかすかな笑みが浮かんだのです。
ほんのひと口がもたらす幸せと、在宅介護だからこそ実現できる細やかなケアの大切さを実感した瞬間でした。
訪問介護が見守った「できた」喜び:ターミナルケアの中で
ターミナルケアにおいては、ご本人の状態変化に一喜一憂することも少なくありません。
医師からは「もう自力での排尿は難しいでしょう」と告げられ、導尿が必要とされていたAさん。
ところが、ある日のこと。
ご主人がふと気づくと、Aさんがご自身の力で排尿されていたのです。
大量の失禁で下着や寝具が濡れてしまい、後片付けは決して楽ではありませんでした。
それでも、ご主人は涙ぐみながら、こうおっしゃいました。
「お医者様には無理だと言われていたのに、自分の力でできたんです。片付けは大変だったけど、本当に、本当に嬉しかった…。」
在宅での看取りの現場では、どうしても「できなくなっていくこと」に目が行きがちです。
しかし、ご主人がそのとき感じていたのは、「できることがまだあった」という、かけがえのない喜びでした。
どんなに小さな変化や出来事も、ご本人やご家族にとっては大きな意味を持つ。
その感動的な瞬間を、私たちスタッフも共有させていただきました。

訪問介護の本質:「支える」のではなく「共に生きる」ということ
AAさんはその後、ご主人に見守られながら、平野区ご自宅で安らかに息を引き取られました。
旅立ちはもちろん悲しいことですが、在宅での看取りの時間を穏やかにご夫婦で過ごされ、ささやかな幸せを分かち合う瞬間に立ち会えたこと。
それは、介護に携わる私たちにとって何物にも代えがたい喜びであり学びでした。
Aさんご夫婦との時間は、私たちに介護の本当の意味を教えてくれました。
介護とは、単に身体的なケアで「支える」ことだけではありません。
その方の人生に寄り添い、最期の瞬間まで自分らしく生きる時間を「共に創る」ことなのだと。
大阪市での訪問介護・在宅看取り・介護相談なら白ゆり介護センターへ

私たち白ゆり介護センターは、これからもその人らしい時間を大切にし、小さな幸せに光を当てられるよう、ご利用者さまとそのご家族に寄り添い続けます。
Aさんのように、住み慣れたご自宅で、自分らしく安心して最期の時間を過ごしたいと願う方、そしてそれを支えるご家族の皆様。
ご自宅での介護や最期の時間の過ごし方について、もし何かお悩みやご不安があれば、どうぞお気軽にご相談ください。
あなたとあなたの大切な方が、心穏やかに過ごせるよう、私たちが心を込めてサポートいたします。
▶ 訪問介護についてのお問い合わせはこちら
▶ ご自宅での介護に関するご相談も受付中